志村/情報の森
(東京都立志村高校出身者の動向)

   こんな情報

    志村高校内の案内・・・懐かしいですか?  
  ☆アクセス☆
*志村高校という名の停留所はなくなりました。(現在は志村高校前→西台交差点南 、志村高校裏→
環八高速下となっています)
1 都営地下鉄三田線(三田−高島平) 蓮根または西台駅下車 徒歩15分

2 国際興業バス(常盤台駅北口−浮間船渡駅)  国際興業バス(東武練馬駅−志村三丁目駅)志村
高校下車 徒歩2分

3 国際興業バス(JR赤羽駅西口−高島平操車場)  志村高校前下車 徒歩2分

4 国際興業バス(JR赤羽駅西口−成増駅北口)  西台交差点下車 徒歩5分

5 国際興業バス(池袋駅西口−高島平操車場)  西台交差点下車 徒歩5分

6 東武東上線  東武練馬駅下車 徒歩22分         

志村高校の校歌を作曲したのは
下総 皖一(しもふさ かんいち、1898〜1962)埼玉県 原道村砂原(現埼玉県 北埼玉郡 大利根町 )生
まれ。
大正9年 東京音楽学校(現東京芸術大学 )で作曲を信時潔 氏に師事し首席で卒業。後ドイツ のベル
リン芸術大学 でパウル・ヒンデミット にも師事して、後にブラームス-ヒンデミット系のドイツ音楽語法の
先駆者となった。門下には芸大で團伊玖磨 、佐藤真 、芥川也寸志 、松本民之助 、プライベートで須田
くにおらがいる。『花火』『蛍』『兎のダンス』『ゆうやけこやけ』『かくれんぼ』など童謡 ・文部省唱歌 を多
く作曲した。また多くの小学校 ・中学校 ・高等学校 の校歌 の作曲も手がけており、総作曲数は1000
曲以上にのぼる。大正9年 芸大助教授。昭和17年 同校教授、昭和31年 東京芸術大学音楽学部
長。地味であるが堅実な音楽であるといわれる。  

志村高校の校歌を作詞したのは
勝 承夫(かつ よしお、1902〜1981)東京四谷に生まれる。東洋大学在籍前からすでに正富汪洋主催
の『新進詩人』に参加、宵島俊吉の名で『白痴を誘って野に出て』などの作品により中央詩壇に認めら
れた。大正9年東洋大学へ入学、同13年に専門学部文化学科を卒業した昭和2年報知新聞社に入社。
昭和18年の退社後、詩作生活に入る。なお、昭和35年と50年には東洋大学理事長に就任。主な詩集
には『惑星』(大正11年)・『朝の微風』(大正12年)・『白い馬』(昭和8年)・『航路』(昭和22年)などがあ
り、昭和56年には『勝承夫詩集』が刊行された。また、「灯台守」などの唱歌・童謡をはじめ志村高校の
校歌など校歌の詩詞も多数にのぼる。
  【童謡】 『歌の町』 『夜なか』
  【唱歌】 『かねがなる』 『気のいいがちょう』 『小ぎつね』 『さんぽ』(散歩唱歌=大和田建樹)を改詞
      『灯台守』(旅泊)』 『夜汽車』
 【外国民謡】 『ジングルベル』

    都立学校の閉校等に伴う卒業証明書等諸証明の発行はどうする?
  イヤですね、志村高校が「有徳高校」ですか。卒業証明書などとる必要がなくなって
いるんだからどうでもいいといえばいいのですが、廃校反対をやっておけばよかった
かも。「有徳」なんて「美しい國」みたいで、恥ずかしすぎる名前じゃないですか。(K
談)          
東京都教育委員

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電子コミュニティ「MEDIANETjapan」の中でこんな記事が紹介されていました。  
    MEDIANET

   同窓の士が作成しているホームページを紹介します ⇒ http://www.asunaro-pc.jp/simura/

 平成20年8月頃の写真を入手しました   ⇒ 志村高校


 
 
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